黄猿の本質は気のいいおじさん

出典:『ONE PIECE』(Ⅽ)尾田栄一郎/集英社

 

「どっちつかずの正義」という信念からもわかる通り、黄猿に大義はありません。

そして立場や種族も、黄猿自身にはあまり関係がないのです。

任務であれば海賊に容赦はしないし、海賊であっても任務でなければ仲良くできます。

その証拠にくまとボニーと仲良く過ごすシーンでは、黄猿は「正義」と刻まれたマントを脱いでいました。

つまり、くま親子との邂逅は、大将としての仕事ではなく「1人の人間」としての付き合いだった。

海賊とも仲良く食卓を囲み、共に踊れる、これこそ黄猿の本性だったのでしょう。

黄猿の正体は他人より強いだけの、気のいいおじさんなのです。

権力に縛られる「社畜」でしかない

出典:『ONE PIECE』(Ⅽ)尾田栄一郎/集英社

 

黄猿の本質は「気のいいおじさん」であり、大義を掲げ世界を変えようとする夢想家ではありません。

しかし、そんな気のいいおじさんが逆らえない相手もいます。
それは権力であり、雇い主である世界政府です。

仕事をする黄猿は、どこまでも自分の雇い主に忠実で優秀な社畜でしかありません。

だから時に友人や仲間を殺せと言われれば、黄猿は従うしかないのです。

「逆らえばいい」と思う方もいるでしょう。

しかし黄猿には大義も、思想もない。
気のいいだけのおじさんは、社畜以外の生き方を知らないのです。

黄猿が「仕事」に囚われ、自由を失っている姿は、現代人なら痛いほど共感出来るのではないでしょうか?

黄猿が「ニカ」を求める理由とは?

黄猿自身が権力に縛られている

出典:『ONE PIECE』(Ⅽ)尾田栄一郎/集英社

 

黄猿は「仕事」に囚われた社畜で、現代的な奴隷そのものでした。

命令されれば友人でも、仲間でも殺します。

赤犬のように「正義」に対する強い執着があるわけでもないため、その殺しは黄猿にとって無意味なものです。

思考を奪われ、サイボーグになったくまと、黄猿のどこに違いがあるのでしょうか?

側から見れば、どちらも自由のない奴隷です。

そしてくまのように心を奪われているわけではないため、「友人を傷つける痛み」を負いながら戦っています。

おすすめの記事