【ワンピースネタバレ考察】黄猿は「ニカ」を求めていた!?黄猿の思想について考察
出典:『ONE PIECE』(Ⅽ)尾田栄一郎/集英社

「どっちつかずの正義」を掲げ、淡々と任務をこなすイメージがある黄猿。
しかし、その裏には「解放」を望む心があることも、徐々に分かってきました。

今回は黄猿の思想と、黄猿の「正義」について考察していきます。

黄猿は「ニカ」を求めている?

「ニカ」の存在を知っていた

出典:『ONE PIECE』(Ⅽ)尾田栄一郎/集英社

 

黄猿は海軍大将でありながら、ゴムゴムの実の正体である「ニカ」の存在を知っていました。

しかし、ニカの名前は五老星がもみ消したので、海軍所属の人間が知っているのは不自然です。
元CP9だったフーズ・フーすら知りませんでした。

そもそも、海軍の最高戦力が世界政府が揉み消したことを知っているのはご法度でしょう。

では、なぜ黄猿が知っていたのか?

考えられる理由はただ一つ、ベガパンクやくまからその存在と、思想を教えられたからです。

くま達と「解放のドラム」を踊っていた

出典:『ONE PIECE』(Ⅽ)尾田栄一郎/集英社

 

黄猿は「ニカ」を知っているだけでなく、くま達と「解放のドラム」のリズムに合わせて踊っています。

ニカが現れた時特有のリズムは、くまの家系に「バッカニア族を解放してくれる戦士」の伝説と共に受け継がれてきました。

つまり、奴隷として虐げられる種族にとって、希望となる思想なのです。

そんな「奴隷の解放」を象徴するニカの存在は、奴隷を容認する世界政府としてはあってはならない思想です。

しかし黄猿はニカの思想を受け入れている点からも、黄猿は世界政府とは違う正義を持っていることが分かります。


黄猿の技名は太陽神に乗っ取ったもの

出典:『ONE PIECE』(Ⅽ)尾田栄一郎/集英社

 

実は黄猿の使う「ピカピカの実」の技は、太陽神に関係した名前を冠しています。

黄猿が使う八咫鏡、八尺瓊曲玉、天叢雲剣は日本では「三種の神器」として有名です。

そして三種の神器は日本神話に登場する太陽の神、天照大神を呼び戻すために作られました。

「ワンピース」の世界では太陽の神=ニカですが、ニカについて多少知見がある黄猿と、技名が無関係とは思えません。

太陽神のための神器を、技名として利用していることからも、黄猿と太陽神は深い関係にあると断言できます。

黄猿の正義は「どっちつかずの正義」

黄猿は思想に偏りがない

なぜ黄猿はニカの思想について抵抗がないのか?

それは黄猿の「正義」が世界政府とは同じではないから。
そして黄猿はそもそも、特有の思想や信仰心を持ち合わせていないからです。

黄猿は自身の信念として「どっちつかずの正義」を掲げています。

赤犬のように徹底した正義でもなく、青きじのように奔放な正義ともまた違った信念です。

一見思想に囚われない自由な発想にも見えますが、状況に流されるだけの正義とも言えます。

この正義が、後々黄猿を苦しめる要素になったと、私は考えました。

黄猿の本質は気のいいおじさん

出典:『ONE PIECE』(Ⅽ)尾田栄一郎/集英社

 

「どっちつかずの正義」という信念からもわかる通り、黄猿に大義はありません。

そして立場や種族も、黄猿自身にはあまり関係がないのです。

任務であれば海賊に容赦はしないし、海賊であっても任務でなければ仲良くできます。

その証拠にくまとボニーと仲良く過ごすシーンでは、黄猿は「正義」と刻まれたマントを脱いでいました。

つまり、くま親子との邂逅は、大将としての仕事ではなく「1人の人間」としての付き合いだった。

海賊とも仲良く食卓を囲み、共に踊れる、これこそ黄猿の本性だったのでしょう。

黄猿の正体は他人より強いだけの、気のいいおじさんなのです。


権力に縛られる「社畜」でしかない

出典:『ONE PIECE』(Ⅽ)尾田栄一郎/集英社

 

黄猿の本質は「気のいいおじさん」であり、大義を掲げ世界を変えようとする夢想家ではありません。

しかし、そんな気のいいおじさんが逆らえない相手もいます。
それは権力であり、雇い主である世界政府です。

仕事をする黄猿は、どこまでも自分の雇い主に忠実で優秀な社畜でしかありません。

だから時に友人や仲間を殺せと言われれば、黄猿は従うしかないのです。

「逆らえばいい」と思う方もいるでしょう。

しかし黄猿には大義も、思想もない。
気のいいだけのおじさんは、社畜以外の生き方を知らないのです。

黄猿が「仕事」に囚われ、自由を失っている姿は、現代人なら痛いほど共感出来るのではないでしょうか?

黄猿が「ニカ」を求める理由とは?

黄猿自身が権力に縛られている

出典:『ONE PIECE』(Ⅽ)尾田栄一郎/集英社

 

黄猿は「仕事」に囚われた社畜で、現代的な奴隷そのものでした。

命令されれば友人でも、仲間でも殺します。

赤犬のように「正義」に対する強い執着があるわけでもないため、その殺しは黄猿にとって無意味なものです。

思考を奪われ、サイボーグになったくまと、黄猿のどこに違いがあるのでしょうか?

側から見れば、どちらも自由のない奴隷です。

そしてくまのように心を奪われているわけではないため、「友人を傷つける痛み」を負いながら戦っています。

友人と権力に挟まれ苦しんでいる

出典:『ONE PIECE』(Ⅽ)尾田栄一郎/集英社

 

黄猿はベガパンクを「殺したいわけない」と語っています。

しかし、ベガパンクは完全な海軍側ではありません。

そして戦闘丸も海軍ではなく、ベガパンクの仲間です。
くまもボニーも海賊で、任務となれば戦わなければならない相手。

黄猿の友人は、黄猿と同じ立場に屈しない人間ばかりのようです。

そうなれば当然黄猿は、友人と権力に挟まれ苦しむことになるでしょう。

裏切り者を処する機会が多い

出典:『ONE PIECE』(Ⅽ)尾田栄一郎/集英社

 

「ワンピース」1100話では、ドレークが黄猿の元部下だったことが判明しました。

そしてドレークと黄猿といえば、シャボンディ諸島で相対したことが記憶に新しいですね。

ドレークはSWORDなので、正確には海賊になった裏切り者ではありません。

しかし、誰がSWORDなのか?を黄猿は把握していなかった可能性があります。

そのため黄猿からすれば、海賊に落ちた部下、海賊の味方になった友人、海賊の友人と、裏切り者を処する機会が非常に多いのです。

こう考えると黄猿に同情の気持ちが湧いてきませんか?

私からすればくまと同じくらい、解放されるのを望んでいるのは黄猿です。

黄猿の思想に関する考察まとめ

以上がくまの思想に関する考察になります。

当初は血も涙もない仕事人という印象だった黄猿。

話が進むにつれて仕事と私情の間で揺れる、非常に人間臭い人物だということが分かってきました。

当初はルフィに立ち塞がる強敵として憎い感情もありましたが、今となっては同情の気持ちも強く湧いてきます。

黄猿もくまやボニーと共に幸せになって欲しい限りですね。

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