結果的に、レグを破壊しきれないために、ファプタはレグを放し、再び両者は激しい戦いを繰り広げます。

二人とも異形存在ということもあり、その戦いは、グロテスクなくらい人間離れしています。

その一方、二人が戦いをはじめると同時に、レグとファプタが出会った頃の回想場面がはじまります。

そして、二人が出会った頃の甘酸っぱい思い出と並行して、レグとファプタの激しい戦闘が描写されていきますが、まるで、二人がお互いの愛憎を確かめ合うようにも思えます。

しかも、レグは、記憶喪失のためにファプタのことを忘れてしまっているため、ファプタは余計に憤りを覚え、さらに容赦のない攻撃を加えていきます。

愛憎の果てに生みだされた戦いは、グロテスクなくらい激しいものとなったのです。

【第10巻】ファプタに食らいつく、アビスの原生生物

グロ度

レグとファプタの愛憎を巡る戦いの果てに、レグはファプタに打ちのめされてしまいます。そこへ、正気を取り戻したナナチと、過去の記憶を取り戻したべラフが現れました。

村が半壊されたことで、べラフは体を維持できなくなっているようでしたが、べラフは最後の力を振り絞って、ファプタに、過去の記憶が宿った匂いを浴びせて、自らは消滅してしまいます。

記憶の中には、ヴエコや己の母であるイルミューイの記憶が宿っていました。

呆然とするファプタの前に、リュウサザイをはじめとするアビスの原生生物が、村の膜に空けられた風穴から侵入してきたのです。

原生生物たちは、村人達に次々と襲い掛かってきました。再び憤るファプタは、アビスの原生生物に襲い掛かりましたが、強力な力を持つファプタとはいえ、多数には勝てず、次第に追い詰められて、原生生物たち体を食われてしまいます。

体中を食いちぎられても、不死であるファプタは死ぬこともできず、ただ、苦痛を打ち消すかのように、憤るしかできませんでした。

そんなファプタを見て、居たたまれなくなった村人達は、自分たちの体を差し出して、ファプタに食わせたのです。

そして、ファプタは村人の体を食って、再び力を取り戻しました。

グロテスクな場面でありながら、復活したファプタはどこか神々しく見えます。

生命の営みというのは、どこかおぞましくもあり、神々しいものでもあるようです。

メイドインアビスのグロシーンはなぜ必要か?



グロテスクな場面には冒険の真実が隠されている

メイドインアビスになぜこれほどグロ描写が多く登場するでしょう?それはメイドインアビスで語られているのは、冒険の真実、そして、生物の持つ本質的な残酷さを語っているのだと筆者は考えています。

リコとレグの師となるオーゼンによると、アビスの現生物は自分より強かで狡猾なものばかりであるとのことです。

強力な生物ほど、グロテスクな姿をしている

現に第二層にいたナキカバネは、人の声真似をしてリコとレグを招き寄せるような狩り方をします。

生き延びるためなら、狡猾で残酷な手段を用いるのが生物なのです。リコとレグもまた然りで、オーゼンの出した十日間のサバイバル訓練で、自分より弱い生き物を犠牲にして、生き延びる術を学びます。

可愛らしいが弱い生き物

つまり、リコとレグは、この大穴で学ぶことは、自分たちが何かを犠牲にして生きること、そして自分らもまた別の何かの犠牲になってしまうことだったのです。

また、メイドインアビスは、遺物という不思議な道具を使うことはあっても、基本的に魔法のような奇跡の力は出てきません。

そのため、治療の場面では、リコの手術シーンのように、見ているほうが痛々しくなるような描写で表現されています。

また、プルシュカがボンドルドによって、カートリッジにされる場面のように、エログロな描写が多く登場するのも本作の特徴の一つです。

本来性器や性描写というのはグロテスクなもので、エログロという言葉があるように、江戸川乱歩や夢野久作の小説や、サロメの絵画で有名なオブリー・ビアズリーなど、猟奇趣味系のモノには、悪趣味な性描写とグロ描写がワンセットになっていました(近年では会田誠の絵画が有名です)。

なぜなら、人はグロテスクなものや残酷なものに、エロスを感じてしまうという、極めて奇妙な本能が宿っているのです。

つまり、メイドインアビスには、それまでのファンタジーや冒険ものでは表現されなかった、性や食、場合によっては排泄などを表現した物語でもあったのです。

つまり、メイドインアビスのグロ描写や残酷描写には、冒険の世界の真実が語られているのであり、リコやレグがその世界に行くというのは、子供が今まで知らなかった、世界の裏側を知って大人になるということを意味しているのです。

グロテスクなものほど旨い!不気味なものに人は惹かれてしまう

メイドインアビスは食事の場面が多く出てきます。この食事の場面は一見和やかに見えますが、本作の残酷な一面が見え隠れしていることがわかります。

善人はおいしそうに食べ、悪人は汚らしく食べるという、お菓子研究家の福田里香が述べたことで有名な「フード理論」をもとにに分析してみますと、食事をおいしく食べるのは、仲間同士で打ち解けあう、読者に感情移入しやすくなるための演出なのです。

本作メイドインアビスでは、リコ、レグ、ナナチの三人が食事をする場面がそれに該当します。しかし、彼らが食べているものは、元は凶暴なアビスの原生物であり、その生き物は探掘家たちを捕食しているのです。

つまり、リコたちは、間接的に仲間を食べていることになるのです(第2巻でそれを示唆するセリフがあります)。

リコは、それに対して、彼らは生き物の血肉になって、自分たちの力になってくれると言い、アビスで生きるにはそれくらいの強かさ、そして仲間たちの協力がないと生きられないと伝えているのです。

 

あの有名な「進撃の巨人」も食が裏のテーマになっていると言われており「食べる」というのは実は大変凶暴で、恐ろしく、グロテスクな行為であるということがわかります。

では、グロテスクな食べ物そのものは、何を暗示しているのでしょう?それは、未知なる世界へ足を踏み入れるということを意味しているのです。

考えてみると、人間の食べているものの中には、ホヤやナマコ、カタツムリなど、グロテスクな食材が多く見られます。

なぜこんなものを?と思うかもしれませんが、人とは切羽詰まるといろんなものを食べて、何が食えるか常に試してきたという、実例からきているのです。

つまり、人は根源的な欲や本能、そして好奇心に突き動かされて、未知の世界へ足を踏み入れて生きてきたということを意味しています。

メイドインアビスでも、どれほど恐ろしいものが待っていようとも、人は憧れを止めることはできないという言葉があります。

つまり、人は根源的な欲に突き動かされて、未知の世界へ旅立って、発展を遂げてきたということです。

又、食べ物には好奇心とともに、タブー(禁断)の概念が関わっています。これは、神話や聖書を読んでみるわかります。古事記に伝わるヨモツへグイや、ギリシャ神話にある冥府の国にあるザクロなどがその例です。

この二つの食べ物は、神話の世界では、黄泉の国の食べ物であるため、一度口にしてしまうと元の世界に戻れないと語られています。

成れ果ての村の逸話では、ガンジャ決死隊が、欲望の揺籃を使って、イルミューイに産ませた小動物の赤ん坊を食して、生きながらえるというおぞましいエピソードがありますが、これは禁じられたものを食べることにより、人間性を失い、元に戻ることができなくなってしまうことを意味しているのです。

つまり、未知の世界には蠱惑的なものもあれば、危険で恐ろしいものもあるということを意味しています。


不気味な生き物、成れ果て、未知の世界にはグロテスクな生き物でいっぱい

三つ目の巨大怪鳥ナキカバネや、全身が針のような毛で覆われたタマウガチに、巨大な口を持つ大蛇ベニクチナワなど、メイドインアビスに登場する生き物や成れ果てたちは、みんなグロテスクで恐ろし気なものばかりです。

特に成れ果ての見た目は、H・P・ラブクラフトのクトゥルフ神話に登場するモンスターのように、深海生物のような不気味なデザインです。

これは、アビスの生物は未知なる世界の住人であることを意味しています。

未知の世界には、信じられない見た目や生態系を持った生物がいるということであり、昔から冒険ものには必ずモンスターが登場するのが定番でした。有名なのはアメリカの「キングコング」です。

メイドインアビスのグロさついてのまとめ

メイドインアビスの物語は、深層に近づくにつれて、次第にグロさも、物語の激しさも増してきます。

グロテスクには、子供が知る世の中の不条理さや残酷な一面、生きるための原動力でもエゴイズムでもある、人間の本能と欲、そして未知の世界そのものが表現されています。

それはただの悪趣味では言い表すことができない、人の根源的な欲や残酷さ、あるいは人間もまた自然の中にいる生物の一種であるという意味が隠されています。

リコ、レグ、ナナチのいる場所は第六層であり、ライザが待っているのは第七層。三人の前にはまだとてつもない未知が待っているようです。


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